1999年9月19日
テモテへの手紙一 第1章12~17節
辻中徹也牧師
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『心病める人たち』(石川信義著 岩波新書)は開かれた精神医療について書かれたもので、「自由こそ治療だ」という理念が貫かれている。ある精神病院で調べたアンケートによると、病院の近くに住む人は、遠くに住む人よりも患者を見かけ、迷惑をしているが、「患者が隣へ越してきて住んだら」患者を受け入れ助ける意識のあることが分かった。「よそへ行け」というのは患者と接する機会の少ない遠い人なのだ。戦前、彼ら(精神障がい者)の生活の中に私たちがいたし、私たちの生活の中に彼らがいた。著者は、彼らに寛大で、彼らをいたわり、大事にして援ける国に私たちの国を変えていかねければと強く願っている。
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私たちの教会も島松病院に入院している患者さん達とつながりがある。例えば山下雅昭さんと水沼松男さんは一週おきに必ず礼拝に来られる。閉鎖病棟におられるので外出には送り迎えが条件になっている。渡辺勝さんは「ほっとタイム」の常連だが開放病棟におられれるので単独で外出が可能。教会へは歩いて来られる。毎週火曜日、牧師は島松病院を訪ね、佐藤輝幸さんと坂本信行さんと会っている。体調に合わせおしゃべりし、ときには聖書や入門書を読んで語り合い、祈って別れる。楽しい一時である。そういう私もうつ病で、二年前植苗の精神病院に入院し、今も通院をし続けている。
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心病める人たちとの出会いの積み重ねが精神障がい者を閉じ込める壁を崩していく。そして、社会が持つ壁も崩していく。何よりも自分は健常者だと思っている人の不自由さや囚われを取り払うということも起こってくる。健常者の側に「障がい」が有るからだ。
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パウロは律法を盾に取り「罪人」を裁き、キリスト者への迫害にも荷担し、石で打って彼ら(キリスト者)を殺すことにまで加わった。それほど律法にしがみつく生き方をし、律法という壁に囚われていた。しかし、ダマスコ途上で光と出会い、主イエスの声を聞いた。主イエスこそ「罪人」を無条件に受け入れ、神の国はあなた方のものだと宣言し命がけで歩いた救い主だ。「罪人」はそのレッテルから解放され、神の愛を知り、救い主を躍り上がって喜び、宣教の主体となっていった。パウロは彼らが罪人なのではなく、彼らを裁き迫害した自分こそ「罪人の最たる者、頭であった」という痛恨の告白をした。同時に「憐れみを受けました」という真実な解放の喜びを告白している。小さくとも、それゆえに大きな出会いによって私たちが神の愛へと解放されることこそ、神のみ旨である。