Archive for 説教要旨

「永遠の命の言葉」

1999年2月21日

ヨハネによる福音書 第6章60~71節

説教者 辻中徹也牧師

 

  • 「五体不満足」(乙武洋匡著)を読んだ。先天性四肢切断と言う障がいを持つ著者は、「僕には負けないことがある、それは手足がないこと」さらに「障がい者にはできないことがある一方、障がい者にしかできないこともある」と記している。障がい者だから特別にというつきあいをしない親、友人、教師に恵まれ、「心のバリアフリー」のために活動するという自分の役割を発見し生き生きと自由に生きている。

  • イエスはご自分を「命のパン」と宣言された。「命」と訳されている語はギリシャ語の「ゾーエー」。これは躍り上がらんばかりに輝く命、今日で言えば、最高の生き甲斐にある状態を意味する。イエスを信じ、イエスをとおして神が「私」を愛してくださっていることを受け入れ、イエスの歩みにしたがうことが「命のパン」を食べることだ。しかし、多くの弟子たちは理解できずイエスのもとを去っていった。ところが12弟子を代表するペトロは「あなたは永遠の命の言葉をもっておられます」と告白し、イエスのもとにとどまった。

  • 「どうして人を殺していけないんですか」。あるテレビ番組で若者が大人に問うた。その場で応えられなかった作家の柳美里さんは「他者から承認されると言う回路が開かれるところにしかその答えは存在しない」と語られた。かつてケンカに明け暮れた大関千代大海は「これ以上オマエを育てる意味がない。オマエを殺して私も死ぬ」という母親の切羽詰まった言葉にショックを受け相撲界には言った。今、彼は相撲は天職、自分が一番輝ける世界だ言う。存在を承認されるところに居場所が生まれ、命が輝き、生き甲斐が生まれる。私たちは聖書をとおして、教会の交わりをとおして主と出会うことが許されている。

  • 「ソニー社長 出井伸之のホームページ」を読んだ。音楽家の坂本龍一氏は「感じ方がおじさんぽくない」と評している。社員との対話を大切にし、社長業を楽しみ、趣味の世界をも楽しまれているのに感心したが、もの足りなさを感じた。神さまとの関係がそこには見えてこない。先日、癌で天に召されたY牧師は、神さまとの関係を喜び、誉め讃え、証して死を迎えられた。永遠の命の言葉を持つ主イエスに生かされ、生かし合う歩みを祈り求めていきたい。

「見えないもの」

1999年2月14日

ヨブ記 12章2~10節

洞爺湖教会 村上浩康兄

 

ご存知の方も多いと思いますが、ぼくは家族と共に『いのちの園』というものをやっています。この4月が来れば『いのちの園』は丸4年を迎え、いよいよ5年目に入ろうとしてます。この『いのちの園』という名前には”そこに生きるすべてのいのちたちが何からも脅かされずにいきいきと生きることができる空間であるように”という願いが込められています。『いのちの園』では、畑を借りて農薬。化学肥料。空気を汚す恐れのある機械をなるべく使わずに野菜たちを育て、それを全国の友人。知人に送ったり、また今日の午後に予定されているような音楽活動をしながら、ぼくたちが様々ないのちたちとのやりとりの中で感じさせられていることを共有する時間を作っています。もともとは畑の仕事だけだった『いのちの園』でのぼくたちの活動を「農業をやっている」と言って下さる人もいるんですが、結局ぼくたちはさっき言った様な空間にする為には何が必要なのかを模索しているだけなんですね。畑の仕事や音楽活動はただその一部だと思っていただいたほうが、ぼくたちの大切にしようとしているものが逆に分かりやすいかも知れません。

どんないのちにとっても、食べ物は生きていく上でどうしても必要なもので、人間にとってもそれは間達いなくそうだと思うし、ぼくたちはお金のあるなしに関わらず安全な食べ物を食べる権利を誰もが平等に持っているんじゃないかと思うんです。それに野菜たちだってひとつのいのちだし、いのちに値段なんかつけられないと考えて、育てた野菜たちに値段をつけずに「それぞれの経済状態に合わせてお支払い下さい」と言って送っています。野菜たちと一緒にぼくたちいろんな思いがつたわればいいなァと思って、普通の産地直送と区別するために、そのやりとりをぼくたちは「分かち合い」と呼んでいます。もちろん今では音楽活動も含めて、ぼくたちが生きていく上でのすべてのいのちたちとの相互関係の総称として使っているつもりです。

『いのちの園』の野菜たちを友人や知人に分かち合ってもらう時に、支払われるものが特にお金である必要もないと思ってはいるんですが、ぼくたちが生活していく上でお金でないと精算できないものが今のところあるので、とりあえず今はお金と交換していただくことで、ぼくたちの生活の一部を支えていただいています。最初は「値段が決まっていないと買いにくい」と言う意見もあったんですが、様々なやりとりの中で”いのちにとっての本当の食べ物の価値”というものを一生懸命考えて下さる人たちに恵まれて、今ではそのことについて何か文句のある人は特にいないようです。買って下さる人たちによって野菜たちの値段が違うわけですが、ほとんどの人が町の相場よりも高い値段で買って下さっているんです。それはとてもありがたいことなんですが、残念なのはそれでも手作業の畑だけではぼくたち家族が生活していく収入にはならないということです。だからと言って、そのままでは無農薬や無化学肥料に付加価値をっけて高く売っている野菜たちと、結果的には変わらなくなってしまうので、上乗せして下さった分のお金を利用して、毎年年末に東京・名古屋・大阪と昨年から加わ った横浜の野宿労働者の炊き出しに「『いのちの園』に関わるみなさんから」ということで、そんなにたくさんの量ではないのですが野菜たちを送ってきました。「分かち合い」というのは、自分たちだけが潤うためのものではなく、自分の力の及ぶ範囲内で、支えられていることと支えることの両方を認識することだと考えます。とかくキリスト教の世界では「支えらていることに感謝」という言葉は聞いても、「支えることができて感謝」なんて言葉はあまり聞きません。謙虚っぽくなくて、イメージじゃないからでしょうか。でも簡単に考えれば、支えられている側があるってことは支える側があるってことで、ひとっのいのちの中にはその両方が同席しているとぼくたちは考えるのです。

昨年3月に、機会を与えられてぼくはべラルーシという国に行かせてもらいました。これはあのチェルノプイリ原発事故で被害を受けた人たちの支援のためで、北海道にある民間の支援団体に北海教区が関わっているところから出てきた話なんですが、一応その団体として計4名で行ってきました。ぼくはそれに参加するまで、チェルノプイリで原発事故があって相当ひどい被害があったということは知っていたのですが、その後の状況などにっいては全く分かっていませんでした。大体、チェルノブイリという場所が本当はウクライナって国にあって、風向きの関係でその北に位置するべラルーシのほうが被害が深刻だってこともその時に知ったくらいですから。でも後で聞いたら、そういう人は結構多いんだそうです。で、その時のべラルーシ渡航でぼくたちがとった支援の形というのは、前もってそれぞれの医療施設に支援額を伝えて、その中で買える範囲の今一番必要な物を医療施設から医薬品会社に注文しておいてもらい、その契約の時にお金を持って行って立ち会うというものでした。なんでそんな面倒臭い形をとったのかと言えば、経済マフィアによる支援物資の横流しを防止するためで、現在ひど いインフレ状態にあるべラル-シは、その関係で経済マフィアが多いんです。べラルーシでは、都市にある大きな病院2件と放射能被害の最前線にある小さな診療所2件の計4件をぼくたちは訪れました。施設自体も大きく、様々な国からの支援を受けているように見える大きな病院よりもむしろ、本当は最も支援を必要としているのに頻繁には手が差し延べられない実情の中に置かれている最前線の診療所に行った時のほうがぼくにとっては多くの学ぴがあったように思います。特にその診療所に滞在中、許可を得て立ち入り禁止区域に入ってチェルノプイリ原発をこの目で見てしまった時のことです。立ち入り禁止区域というのは放射能がもうヤバいくらい残っているんでそうなっているわけですが、放射能ですから、ここに柵があって向こうはヤバくてこっちは大丈夫とかそういう話ではないんです。一応チェルノブイリ原発から30km範囲が立ち入り禁止となっているみたいですが、診療所の人は「この町はチェルンブイリから27kmだ」って言っていましたから、実際それもしっかりした測定がされていないのだと思いました。少し話がそれましたが、その立ち入り禁止区域の中に放射性生物保護区というのがあ って、そこで生息している様々な生物への放射能の影響やその体内にどれだけ放射能が残っているのかなどを研究している機関があるんですね。もちろんその機関自体は安全圏にあります。その研究所の副所長さんの案内で、ぼくたちは立ち入り禁止区域内を回りました。チェルノブイリ原発の他にも、かつてはここに村があったというような場所などいろいろ見て回ったのですが、ぼくには行く道での副所長さんの話がとても心に残りました。彼の話は、ぼくたちの目的とはまるで関係のないようなビーバーのダムやオオカミの賢さについて、それから道が悪いのはイノシシのせいだとか、そういう話がほとんどでしたが、それらの話でぼくは彼がどんなにかこの土地を愛している事を理解した気がしました。そしてこれは原発保有国には発表されなかったことなのですが、1992年にべラルーシで380ha、ウクライナで1,000haの汚染地の森が燃える火災が発生して、その灰に含まれた放射能が再ぴ辺りの村を汚染したことがあったそうです。そして、焼けたその土地の放射能を計ったら森があった時の何十倍もの数値だったという話を聞いた時、ぼくは深い衝撃を受けました。どういうことかというと、森の木々 が多量の放射能を体内にとどめていたということです。人間はその土地を捨てる事もできます。どこへも行けない彼らが、人間のした事の被害を一身に受けながら、尚もその土地の外へ汚染が広がるのを防ごうとしたのではないかとぼくには思えてならなかったのです。

原子力発電所のようにその危険性がある程度はっきりしていても、放射能そのものが目に見えないので、危険性よりも便利さを優先させてしまう甘さが人間にはあります。先進国と呼ばれる国々が「これは人間にとって必要だ」と言ってやっていることが、いのちそのものを脅かしているという図式がこの星にはたくさんあります。しかも大抵の場合、脅かされるのはその便利にあやかっている人間から一番縁遠いいのちたちからということになっている気がします。人間の世界だけを見てもそうです。

先程のチェルノプイリ原発の事故も、そこに生きる動植物たちへの被害はもとより、被害を受けた人たちの多くは馬車にランプというおおよそ電気とは無縁な生活をしていたのだというのですから、溜め息も出ません。何より、そういう事実を知りながら原子力発電所からも供給されているであろう電気に振り回された生活をしているぼく自身を許せない気になります。人間が科学の大きな進歩によってその生活に潤いを持つことができても、実際にそれで潤っているのはほんのひと握りの人間だけであって、この星全体が潤うにはほど遠い感じがします。

神様は様々なものを与えてくれます。ぼくたちクリスチャンは、人間は神様が特別に作った生きものなので、他のどの生きものたちよりも優れていて、今この星で人間がこれだけ進歩してているのは、神様が人間にそれだけたくさんの特別な能力を与えてくれているからだ、と考えがちです。でもぼくはその考えが間違っているように思えてなりません。

人間が特別だと思っているその能力を駆使して開発したものには、必ず犠牲を伴うような欠陥があります。その欠陥を補うために新しいものを開発し、その繰り返しによって人間はどんどん進歩しているという人もいますが、そこには大きな落とし穴があると思うのです。

なぜなら、その進歩に伴う犠牲は減るどころか増加の一途をたどっているからです。人間は特別だという意識が、人間は完全ではないという事実を受け入れ難くしていて、そのために傷つき苦しめられるものがあっても、その犠牲すら正当化してしまっているのではないでしょうか。それに比べて人間以外の生きものたちの世界にはそんな理不尽な犠牲はありません。それらの生きものたちは、人間の目にはあたかも、特別な能力を持たないがために、ただ与えられたいのちを次の世代を残すだけに費やしているかのように映りますが、彼らは自らの能力の限界を認識した上でその純粋な生き方を選択しているのかも知れない、とぼくは思うのです。

神様はいつもぼくたちに様々な能力を与えると同時に、それを用いるかどうかの”選択の自由”というものも与えているとぼくは考えています。例えばそれは、ウランから原子力を作り出す能力を与えるのと同時に、それをどう使うかもしくは使わないかの選択を与えているということです。

現在では、原子力に加えクローンや遺伝子操作など、人間の領域を踏み外しているようにも思えることが様々ありますが、基本的にいのちはそのどれもがそれ自身の意思とは関係なく神様から与えられ、そして奪われるものです。”望まれないいのち”なんて言われ方もありますが、それはあくまでその誕生に携わる側の勝手な言い分であって、生まれてくるほうには何の疑いもないわけです。だからこそ、生まれてきたいのちの中で必要とされていないいのちはないだろうとぼくは考えます。

必要とされているからこそ、そこにいのちが与えられるのだと思うし、そしてまたそれぞれに何か役割みたいなものが与えられているに違いないと思うんです。人間中心に考えれば「不必要だ」と思われるいのちでも、他の何かにとってはもうなくてはならない存在なんだってことが絶対あると思うんですよね。人間は人間としての、動物は動物としての、植物は植物としての、昆虫は昆虫としての、微生物は微生物としての役割をちゃんと持って生まれてきてるはずだとぼくは信じています。そしてそれぞれの世界の中でもきっと、そのひとつひとつに役割があり、それを果たすことでちゃんと支え合って生きていけるようになっているんじゃないかなと思います。神様が与えてくれるものの中で、ただひとつだけ間違いなく選択の余地のないものがいのちである、という信念が『いのちの園』の根源です。人間以外の純粋に生きるいのちたちがなるべく多く存在しているところに身を置くことで、彼らの発している目に見えず耳に聞こえないメッセージを取り込むことができるのではないかと考えて、ぼくたちはまず畑の仕事を選択したのでした。周りのいのちたちを見るにつけ、どう考えても人間が一番そ の役割を見失っているような気がしますので、ぼくはぼくといういのちを生きていく上での責任を果たすために、やはりぼく自身の役割というものをもっと探求しなくてはいけないと思っています。

「天に宝を積む」

1999年1月31日

マタイ福音書6章19~21節

説教者 濱田裕三牧師

 

  • 「富」と「止める」は言葉の語源が同じだという説がある。古今東西の権力者はお金や物、言葉、情報を「止め」て「富」を地上に積んだ。地上に「富」を積んでも、その権力はまた新しい権力によって「富」を失う。「虫が食ったり、サビついたりする。「天に富を積みなさい」「天」に富を積む「富」とはなにか。お金か物か?良い行いか?1人1人が神の期待に応えるように良い行いをする事。他人の力に頼らず、自立した生き方をする事は大切なことである。しかし、「行い」も「独占物=独りだけに止まるもの」である限りは、お金や物と変わらない。良い行いをずっと続けることは大変なことだし、いつかボロが出る。「虫が食ったり、サビついたりする。」

  • 「富」みんなのもの、分かち合うことができるもの。「天」とは神の心が実現されるところ。「天に富を積む」とは神の思いが実現する場で物、お金、行いを分かち合うこと。言い替えるとお金や物、行いを分かち合う場が「神の国」=「天」なのではないか。

  • べてるでみんなと働いていると、聖書の読みがおもしろくなってくる。ベテルは98年度2つの新しい事業を始めた。1つは「べてるトラベルサービス」、もう一つは「べてるドリームバンク」。このバンクには変わった特徴がある。「お金預かります貸します」は銀行だからあたりまえ。お金だけでなく「苦労や悩み、病気や弱さ」も預かります。貸し出します。この銀行が生まれるきっかけは、95年から始まった総会での全国幻覚妄想大会。この大会で、タブーだった幻覚や妄想に人が生きていく上で大切なメッセージが隠されていたことがわかった。「楽しい」「豊かだ」「新しい発見があった」。「1年に1回じゃおもしろくない」という声が多く、定期的に幻聴ミーティングをはじめた。さらに「今週の苦労ミーティング」これなら誰でも参加できる。1週間の苦労を語り合い「いい苦労をしたねと」みんなで拍手をする。こうした体験を繰り返すことで世間では、また本人にとっても以前はマイナスだった「苦労や悩み、病気や弱さ」が、みんなで共有できる大切な財産であることがわかってきた。

  • 浦河教会もべてるに刺激されて「弱さ」を神から与えられた「恵み」ととらえ。弱さを開示し合う教会を志向するようになった。言葉も分かち合えるようになってきた。流れを「止める」キリスト業界用語が減り、教会に日常会話が戻ってきた。浦河では以前から「昇る生き方から」「降りる生き方を」ということを合い言葉にしてきた。「みんなで弱さを出し合い弱さを受け入れ合いながら降りて行く。仲間と一緒に降りる。下にはみんなが安心できる場がある。さらに豊かになるためには掘り下げる作業をする。地下には人間にとってなくてはならない大切な金鉱脈がある。」今日の「天に富を積む」に通づる「言葉」だ。「弱さを神から与えられた恵み、共有の財産として分かち合う」このことを島松教会も実践してきた。神にとっての「宝」の箱、みんなにとっての「富」の箱である教会を大切にしていきたい。

 

*べてる→「ベテルの家」。浦河教会を拠点に、日高昆布などを販売する小規模作業所、グループホーム、福祉ショップ、会社などからなる精神障がいを持つ人やアルコール依存症を持つ人たちを中心にしグループです。ベテルの発信するメッセージはとにかく面白く、奥深い。ほっとしたり、こちらの「当たり前」をひっくりかえされ、うならせられるような発見があります。べてるの輪は全国に広がっています。(辻中)

「まことの礼拝」

1999年1月24日

ヨハネ福音書4章19~26節

説教者 辻中徹也牧師

 

  • この箇所には、ヤコブの井戸のそばで主イエスとサマリアの女が出会った出来事が記されています。この出会いにおいてイエスは二つの境界線を越えて女に近づかれています。

  • 一つはサマリア人とユダヤ人のあいだに横たわる民族の壁です。アッシリアの占領政策によりサマリアは他国人と混ざり合いました。それはユダヤ人にとって受け入れがたいことであり、両者は敵対関係にありました。もう一つは男と女という立場の違いです。サマリアの女にとって、女であることは社会から受け入れられず、人目をはばかって水くみをしなければならないような現実でありました。それは、彼女が5人の夫との結婚に破れ、今や夫ではない男と連れ添っていたからです。

  • イエスの「水を飲ませて下さい」という語りかけは、この女が他者との交わりに生きること、他者に与えて生きることへの招きでありました。女にとっては暗闇に差し込む一条の光であったのです。女はイエスに「主よ」と応え「あなたは預言者だとお見受けします」と言いますが、礼拝すべき場所についての議論を持ちかけ、近づかれたイエスをとおまわしに拒否しました。

  • イエスは「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時がくる。今がその時である」と宣言され「わたしを信じなさい」と応えられました。民族の隔て、立場のちがいという境界を越えて女に近づかれた主イエスを通して、わたしたちは神の霊を受けて真理をもって神の前に立つ礼拝の時を与えられます。「魂の渇き」を潤すまことの礼拝は、イエスの愛と出会い、イエスによって示される神と出会う場に生まれるのです。

「人間をとる漁師」

1999年1月17日

マタイ福音書4章18~22節

説教者 辻中徹也牧師

 

  • 先週の水曜日、キリスト教入門の集い「ほっとタイム」の新年会を行いました。24名の老若男女、障がいのある人もない人も、マージャンとバザー準備を楽しみました。かつて滝口孝牧師が提唱された「障がい者と共にある教会形成」の実現という幻、「祭りを共に」すなわちだれもが共に楽しむという精神を受け継ぐ活動をほっとタイムが果たしているんじゃないかと思います。

  • この箇所は、ペトロを初めとする漁師であった者たちが、イエスの呼びかけ「私についてきなさい。人間をとる漁師にしよう」と言う言葉に、網を捨て、船を捨て、家族を捨てて従ったという事が描かれています。「人間をとる漁師」とは一体どういう意味なのでしょう。この記事の前の所に、暗闇に住む者が「大きな光」を見た、死の陰の地に住む者に「光が射し込んだ」、とあります。「人間をとる」ということは、この大きな光を共に仰ぐということではないでしょうか。

  • 先日、Y牧師の説教集が届きました。Y牧師は、癌の宣告を受け苦しい闘病生活の中にあって、どんなときにも神さまからの光を受け、福音の明るさに生かされた思いを説教集という形で残したいと話され、この説教集がうまれました。その中で「視線が神に向かっていると言うことは、言いかえますと、神さまからの光を、神からの愛を受け止める姿勢をもっているということであります。つまり、キリストに向かって進みゆく人間は、キリストの光を受けると言うことであります。」と述べられ、クリスチャンの標識は「困難に密着してしまわない広さ、軽さ、福音的明るさ、キリストの光を受けて生かされているということ」だと記しておられます。

  • 多くの人を得るために、共に主イエスの光を仰ぐ明るさをもって宣教の歩みを担って歩みたいのです。

「イエスの洗礼」

1999年1月10日

ルカによる福音書3章15~22節

 説教者 辻中徹也牧師

 

  • この箇所で紹介されているのはバプテスマのヨハネの宣教と、主イエスのバプテスマという二つの出来事です。

  • ヨハネの言葉は、人々のイスラエル人としての民族的な誇りも安心感も吹き飛ばすほどのものでした。彼は怒りに満ちた神の裁きを説き、悔い改めの実を結ぶように具体的に命じました。救い主の到来を待ち望んでいた民衆はヨハネがキリストではないかと考えるようになりました。しかし、ヨハネは民衆の目をやがて来る救い主イエスに向けさせました。やがて来る救い主は「聖霊と火とのバプテスマ」を授ける者だと。

  • やがて主イエスはヨハネのもとに来ます。バプテスマを受けるためでした。罪のないイエスが悔い改めのバプテスマを受けられたのです。その時「聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降ってきた」そして、「『あなたは私の愛する子、わたしの心に適う者』と言う声が天から聞こえた」とあります。イエスのバプテスマは民の罪を負うという人間とイエスとの一体性の宣言であります。また同時に、天からの声はそのイエスこそ神の心に適う者ということを明らかにしています。

  • ヨハネが語るように私たちは悔い改めを必要とする者であります。しかしイエスはそんな「私」のもとに歩み寄られ、「私」の罪を負うために「私」と共に悔い改めのバプテスマを受けて下さる方です。この私と確かに共に生きてくださる主と共に歩みましょう。

「主は生きておられる」

1999年1月1日  新春初穂礼拝

列王記上18章30~40節

辻中徹也牧師

 

  • 昨年の8月30日に、千歳栄光教会と島松伝道所は千歳の向陽台のグランドでソフトボールの試合をしました。13対9で軍配は千歳に上がり、島松は惜しくも破れてしまいました。この親睦試合は、勝負にこだわらずに子どもたちが楽しめるようにというこ とで計画されたものでした。ところが、牧師同志の密約がありまして、「初穂礼拝の説教をかけましょか」という提案がなされたの でした。私はてっきり負けた方の牧師が説教を担当すると思い込んでしまいました。説教の準備をしながら思いめぐらしています と、ひょっとしたらU牧師の提案は「勝った方が説教をする」ということだったのかもしれないと思うようになりました。神の声に打たれました。「あなたは喜びを譲ってもらったんだ。」

  • 今日の聖書の箇所は、預言者エリアがバアルという偶像に使える預言者450人、同じく偶像であるアシュラに使える預言者4 00人と闘ったことが記されています。戦いの仕方は、それぞれが薪の上に一頭の雄牛を載せ、火をつけずに置く。そして、それぞれが主の名を呼び、火を下して、呼びかけに答える神を神としようと言うものでした。エリヤは「主は生きておられる」ということを知っていました。主との生きた交わりの中で、堂々と450人のバアルの預言者と闘ったのです。戦いの結果、バアルの預言者たちが呼ばわっても応答はありません。エリヤが神に願いを捧げたとき、主の火が降って献げ物を焼き尽くしたのです。民の目には、たった一人残った主の預言者エリヤよりも、450人のバアルの預言者に力があると映ったに違いありません。そして民の中に偶像バアルこそが自分たちに豊かさをもたらす「神」であるという空しい信仰がはびこっていたようです。そんな状況で、エリヤは「主は生きておられます」という信仰によって、民の前で主こそ神であることを示し、彼らの心を元に返したのです。

  • 先行き不透明な時代ですが、どんな状況に直面した中でも、私たちにはエリヤのように「主は生きておられる」という信仰が与えられています。神との生きた交わりの中で生かされ、前途に臨む生き方が開かれています。そこで生きるように招かれているのです。

  • 北星余市高校のスキー実習の下見を兼ねた合宿の仲間に入れていただきました。夜の交流会で体育科の先生にスキーの手 ほどきを受けました。「腰はいつも谷側に向けておくこと、ストックを突く時は身を投げ出すように思い切って前に突くこと、腹はひっこめて、腕は前に出して、足は地面を蹴るように」。翌日、急な斜面に挑戦してみました。斜面の中程くらいから、思い切って身 を投げ出すことを意識したとき、それまでとは全くちがう滑りの感覚が閃き、その感覚を保ったまま下まで滑り降りることができま した。身を投げ出す感覚がわかりました。

  • 信仰生活も同じです。「主は生きておられる」という神さまとの生きた交わりの中にいつも身を投げ出していくことが求められています。讃美歌368番「新しい年を迎えて」の3番の歌詞をお読みいたします。「みことばに、はげまされつつ/欠け多き 土の器を/主の前に すべて捧げて/み恵みが あふれるような/生き方を ことしはしよう」

「激しく嘆き悲しむ声」

1998年12月27日

マタイ福音書2章16~23節

辻中徹也牧師

 

  • 救い主が誕生する、それはこの上ない喜びであり、私たちに永遠の命に至る道を開く出来事であります。けれども、そのために たくさんの幼い子どもたちが虐殺されたという出来事をつきつけられるとき、私たちの思いは複雑になります。神さまはなぜ、そんなむごい出来事に沈黙されヘロデのなすがままになさったのか?救い主の誕生のゆえに、その子どもたちが犠牲になるのはしかたないというのか?救い主イエスだけが、夢による導きによって虐殺を免れるのは、不公平ではないか?自分だけが生き残 る救い主なんてどこかおかしい!そんな想いが心にもたげます。

  • 救い主は自分では何ひとつすることができない「いのちを支えられ」てしか存在できない無力な姿で誕生されました。危機の中 に全くの無力な者として生まれられた、そのことを見据えていく彼方にしか納得のいく答えは得られないと思います。神は決して 失われたいのちを見捨てられたのではなかったという答えを与えて欲しいと思わずにおれません。

  • マタイはヘロデの幼児虐殺を「預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。」と記します。これは、北王国イスラエルが紀元前721年にアッシリア の攻撃にあって滅亡したとき、多くの人々が捕虜となりアッシリアに移住させられる祭に、ラマを通ったわけですが、そのときいわば「草葉の陰から」今はなき民の母ラケルが子孫の悲劇のために泣いた、その嘆き悲しみをさしているのです。そのエレミヤの語った嘆き悲しみがが、ヘロデによる幼児虐殺によって現実となったとマタイは記しているのです。イエスを殺そうとする心は、 人間の営みの中に繰り返し起こりうることです。そして、そのたびに無実のいのちが殺されていくのです。

  • 神はどこにいるのか?そう問わずにおれない事態の中で、「実に神は絞首台につるされている」ヴィーゼルはそんな声を聞きま した。ホセアもまた、民のくびきを取り去り、身をかがめて食べさせる愛の神の姿を語ったのです。いのちを奪い取る「刃」の中で、嘆き悲しむ声の中で、私たちはヨセフの歩みに連なるものであることを願います。神の声、神の示しにひたすら従ったヨセフの歩みの彼方に、私たちは、十字架で処刑された神の姿を見、身をかがめられた神の姿を見るからです。「いのちを支えるの側にいるのは弱いというよりも本当に謙遜ないのちである。」そのことをイエスの生涯を通して確かなこととして知らされます。救い主誕生の犠牲として多くの幼子が殺されたという人がいてもおかしくないと思います。しかし、神ご自身がそのときヘロデの刃に切り裂かれたのです。神の子もまた、罪の刃による死へと身をかがめられたのです。本当に謙遜ないのちが今も嘆き悲しみ者のも とへ身をかがめておられる。この神の姿をキリストを通して信じ、応えて歩むものとならせていただきましょう。

「愛してくださった」

1998年12月20日

ヨハネ福音書3章16節

辻中徹也牧師

 

  • イエスさまは立派な宮殿で兵士たちに守られれてお生まれになりませんでした。
    馬小屋の飼い葉桶という、誰でもがありのままで出かけていけばお会いすることのできる低い場所に生まれて下さい ました。それはすべての人の救いとなって下さったイエスさまに相応しい場所であったことをページェントによって あらためて気付かされました。
  • このクリスマスに私たちには大きな喜びが与えられました。本間ミヤエさんの受洗です。
    本間さんが、洗礼を受けようと言う気持をお連れ合いの浩気さんに伝えられたとき「そんな気持で洗礼を受けてもい いのか?洗礼と言えばヤクザが入れ墨をするようなものだろう」と言われたそうです。きっと、励ましの言葉だった のだと思います。
  • パウロは「わたしは、イエスの焼き印を身に受けている」と記しました。それほどに自分はイエスさまの僕である、イエスさまのものなのだ、と言い表したのです。けれども、それは入れ墨を入れたり、焼き印を押したりするよう な「痛み」を伴う覚悟を神さまが求められているというよりも、もっと大きな痛みと犠牲をともなう「愛」もってを 神さまがまず、すでに私たちに臨んで下さったからなのです。パウロはその愛を知ったのです。
  • 神さまはイエスさまという独り子を私たちにプレゼントして下さいました。愛というものが目に見える形で私の世界に入ってきたのです。イエスさまによって、私たちは「神さまがこの私を愛してくださった」と言うことを知るこ とができます。「愛してくださった」 神さまに応えて歩むものとならせていただきましょう。

「回復の日」

1998年12月13日

アモス9章11~15節

辻中徹也牧師

 

  • 心の自立には段階があります。幼児から少年、少年から青年、青年から大人だそうです。そして、その延長に社会か らの自立があります。人は神と出会うとき社会からも自立する存在なのです。
  • 預言者アモスが活躍した時代は、北王国イスラエルが一時的に隆盛をなし、貧富の差が増し、弱いものが踏みつけら れていました。アモスはイスラエルへの神の裁きを預言し、「正義を洪水のように、恵みの業を大河のように、尽きることなく流れさせよ。」と、神への立ち帰りを預言しました。しかし、指導者達は彼を国外へ追放し、やがて、イスラエルはアッシリアに滅ぼされます。与えられた箇所は、神の厳格な裁きを体験した民に、アモスの弟子たちが神に立ち帰ることによって成る「後の日の回復」を預言してアモスの預言を締めくくった箇所です。預言者アモスの姿に、神との出会いによって社会から自立して立ち上がった人間の姿を見出すことができます。
  • 神との出会いによって社会から自立していくこと、主イエスと出会って私が私の個性を生き始めることに私たちは招 かれています。暗闇の中に灯ったクリスマスという出来事の到来を待望する、その喜びは、私たちが「回復の日」を待望し、その実現を担っていくものとして、もう一度私らしく生きさせてもらえる、その喜びであります。
  • 旧約の時代の預言者たちが歩み抜き、主イエス・キリストによって歩み抜かれたその道に連なることを待望しつつア ドベントの期間を共に歩んで参りたいと思います。