1999年11月21日
ペトロの手紙二 第1章3~11節
辻中徹也牧師
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収穫感謝の日ということを念頭においてテキストに耳を傾けてみたい。自分は収穫の感謝から遠いところに生きてきたし、今もそうだと思う。土や肥料、汗 にまみれて天の恵みにすべてをゆだねる結果生まれるのが収穫の感謝だと思う。都会に育った自分は収穫の過程の「農」と言う世界から遠い。しかし、イ エスの譬えは「農」の体験にこそ響く。
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与えられたテキストは、グノーシス主義者と呼ばれる偽教師達の悪影響を重く見た著者の、教会への勧めと励ましが記されている。グノーシス主義とは善 悪の二元論でこの世を見る立場であった。創造神と被造物は悪であり、人の身体も悪とみなされた。一方、人の魂は神と同質の善とみなされた。そこから 仮現論(ドケティズム)が生まれた。キリストの死は、見かけ上のことで、キリストの魂は受難の前に身体を脱ぎ捨てたとする。
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新聞で「ホーリー・バージン・メリー」という聖母の絵が「反宗教的」だと物議を醸していることを読んだ。作者はイギリス在住の黒人画家でカトリック信徒だ。 彼はアフリカ旅行後、作品にゾウの糞を素材に使うようになった。ゾウの糞を使った黒人女性のマリア像は彼のアイデンティティを表現するひとつの信仰告 白だと感じた。管理され整備された都市で、「農」や自然との交流を失った宗教こそ「反宗教的」なのではないだろうか。
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あるがままの日常を生き、隣り人を愛し、十字架の苦難を死んでいった主イエスが分からなくなったグノーシス主義の偽教師たちとどこか通じる狭さが私達 にないだろうか。信仰・徳・知識・自制・忍耐・信心・兄弟愛・愛を力を尽くして「加えなさい」とあるが、自分の日常にこれらを具体的に喜んで注いで歩むとき、私達は主イエスキリストを知るようになり、永遠の御国に入るというすばらしい約束が与えられている。