1999年 10月31日
ヨハネ福音書第2章13~22節
辻中明子牧師
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日本人は、「感情的」であると言うとを不定的に受け止めが ちです。聖書にもイエスの「感情」を表現する場面は限られてレ』 ます。しかし、イエスご自身は、出会っている人々の感情を大切 にし、また、ご自身も感情的に行動されたのではないかと思いま す。
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神殿でのイエスのー連の行動は、まさにイエスの激しい怒りで す。人々は、過越しの祭りにエルサレムの神殿ヘ規定どうりの捧げ 物を携え参ることが、人生の重大事であり、信仰の証しでし た。多くの商人が便宜をはかり不当に利益をあげていました。 46年かかって造られた伝統的な神殿に中心が置かれていました。 イエスは、この信仰を怒り「イエスの十字架」こそ中心であると 宣言しました。
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本日は、宗教改革を記念した礼拝です。伝統の上に築きあげら れた形骸化した信仰が崩されたことを覚える日です。そして、今 私たちにも、同じ問いがなされています。これまでの価値基準に しがみついている私たちの生き方から、イエスご自身が「新しい神殿」 であるという生き方へと変えられたいものです。