1999年9月12日
ペトロの手紙一 第2章11~17節
辻中徹也牧師
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迫害を受けているキリスト者に書き送られたこの手紙は、苦難の中の喜びを語っています。「キリストの苦しみに与れば与るほど喜びなさい」(4:13)と勧めています。
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わたしたちはありのままの自分をなかなか受け入れられません。弱さ、身勝手さ、罪深さ、醜さ、虚しさに無力を覚えます。福音書の告げる主イエスは、そんな一人ひとりのどうしようもなさを十字架に至るまで引き受けてくださいました。主イエスは「罪人」の一人となり、「小さき者」の一人となり、一人ひとりを縛るマイナスのレッテルから解き放たれました。そんな主イエスと共にあるとき、私たちの魂は生き生きとした息吹を与えられ、自由へと解き放たれます。迫害の中で主イエスと共にある喜びを証ししていくようにという勧めは、迫害されている者を生かすだけでなく、迫害する者をも変え、生かしていく道なのです。
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この手紙は「人間の立てた制度に従いなさい」「皇帝や総督に服従しなさい」と勧めています。それもキリスト者の自由に含まれるのかも知れません。作家のいのうえひさしさんは「民主主義という者は面倒くさいものだ。…面倒くさいことは嫌だから政治を誰かにまかせるということであれば、結局、貴族や天皇のような王様に支配してもらうことになる。しかし、われわれは戦後、国民主権の名のもとにこの『面倒くさい』ことをあえて選び取ったはずではなかったか。」と言われます。自由な人として生活すること、神の僕として行動することを、特に今の時代に求められています。しかし、それはとても「面倒くさい」ことかもしれません。
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主イエスの愛に立ち返り、神さまが愛してくださっている喜びを受けるとき、私たちは自由な人として呼び出され、神の僕として行動することへ押し出されます。面倒くさいことを喜んで担えるほどに私たちを変えてくださるのです。