1999年5月23日
使徒言行録 第1章1~11節
辻中徹也牧師
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疲れたとき、不規則にだらだらと過ごすことにしています。心の規則はだらだら過ごしているあいだにリズムを整えていくもののようです。誰しも「安息日」が必要です。本当の「安息」は、神を礼拝し、「罪人」である自分を知り、神を知ることにあります。
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ゆっくり、気軽におしゃべりすることが大事だと感じています。だらだらしているように思えても、その中に発見があり、大きな役割を果たす「ことば」との出会いがあります。ペンテコステの出来事も「ことば」と関係しています。「神の偉大な業」という一つのことが多種多様な聞く人が慣れ親しんだ故郷のことばで自由に語られたのです。
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「神の偉大な業」とは、主イエスの十字架と復活によって、神の愛と赦しが示されたと言うことです。聖霊が降ったとき弟子たちはそのことを「私」に起こった福音として理解し、語らずにはおれない力を与えられたのです。
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バベルの塔の物語は、同じことばを使い、分かり合えた世界が、神をないがしろにしたり神に成り変わったため、神によってことばが混乱させられたことを伝えています。教会を建てる力の源は、人間のひとりよがりになりがちな危うい力ではなく、聖霊の働きによるのです。たくさんの課題の前にたじろぎ、力んでしまう私たちですが、本当の「安息」に身を置いて、聖霊の働きを祈り求めて行きたいものです。