「恐れることはない」

1999年 4月11日

マタイ福音書28章1~15節

辻中徹也牧師

 

  • 今日の箇所は、イエスの復活の出来事を記した箇所です。この記事を読んで、疑問に思うことがあります。「からだのよみがえり」とは一体どういうことなんだろうと思います。それが肉体の甦りであるならば、信じられないし、不自然だと思うのです。また、空になった墓の伝承を、どう受け止めたらいいのかと戸惑います。

  • マタイ福音書が土台にしたマルコ福音書では、主の復活を知らされた婦人たちが「震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。」と記しています。確かに死んだイエスの復活とは恐ろしい出来事であったのです。それは自然な受け止め方であったと思います。

  • 復活を伝える福音書に共通して記されていることは「あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる。」という言葉です。ガリラヤはイエスが生きて働かれた場所です。病人や障がいを持つ者を癒やし、「罪人」と食卓を囲み、神の国の到来を宣言された場所です。ガリラヤという場所へ私達が立ち戻るとき、私達は生きておられる主イエスと出会うことが約束されているのです。そこで、主イエスの甦られた「からだ」と再び出会うことが赦されるのです。

  • 来週は教会総会です。「共にある」という視点から私達の成した活動をもう一度ふりかえり、さらに「共にある」ことへ向かって歩み出すときに、主の生々しく生き生きと生きておられる「からだ」に私達は出会うことを約束されています。「恐れることはない」と、喜びが備えられ、生きた主と出会う道が開かれているのです。

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