1999年2月21日
ヨハネによる福音書 第6章60~71節
説教者 辻中徹也牧師
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「五体不満足」(乙武洋匡著)を読んだ。先天性四肢切断と言う障がいを持つ著者は、「僕には負けないことがある、それは手足がないこと」さらに「障がい者にはできないことがある一方、障がい者にしかできないこともある」と記している。障がい者だから特別にというつきあいをしない親、友人、教師に恵まれ、「心のバリアフリー」のために活動するという自分の役割を発見し生き生きと自由に生きている。
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イエスはご自分を「命のパン」と宣言された。「命」と訳されている語はギリシャ語の「ゾーエー」。これは躍り上がらんばかりに輝く命、今日で言えば、最高の生き甲斐にある状態を意味する。イエスを信じ、イエスをとおして神が「私」を愛してくださっていることを受け入れ、イエスの歩みにしたがうことが「命のパン」を食べることだ。しかし、多くの弟子たちは理解できずイエスのもとを去っていった。ところが12弟子を代表するペトロは「あなたは永遠の命の言葉をもっておられます」と告白し、イエスのもとにとどまった。
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「どうして人を殺していけないんですか」。あるテレビ番組で若者が大人に問うた。その場で応えられなかった作家の柳美里さんは「他者から承認されると言う回路が開かれるところにしかその答えは存在しない」と語られた。かつてケンカに明け暮れた大関千代大海は「これ以上オマエを育てる意味がない。オマエを殺して私も死ぬ」という母親の切羽詰まった言葉にショックを受け相撲界には言った。今、彼は相撲は天職、自分が一番輝ける世界だ言う。存在を承認されるところに居場所が生まれ、命が輝き、生き甲斐が生まれる。私たちは聖書をとおして、教会の交わりをとおして主と出会うことが許されている。
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「ソニー社長 出井伸之のホームページ」を読んだ。音楽家の坂本龍一氏は「感じ方がおじさんぽくない」と評している。社員との対話を大切にし、社長業を楽しみ、趣味の世界をも楽しまれているのに感心したが、もの足りなさを感じた。神さまとの関係がそこには見えてこない。先日、癌で天に召されたY牧師は、神さまとの関係を喜び、誉め讃え、証して死を迎えられた。永遠の命の言葉を持つ主イエスに生かされ、生かし合う歩みを祈り求めていきたい。