2000年4月2日
マタイによる福音書 第17章1~8節
辻中徹也
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イエスと三人の弟子とが高い山に登った。イエスは、顔を太陽のように輝かせ、服は光りのように白く輝いていた。そして、モーセとエリヤと語り合った。モーセは旧約の律法をあらわし、エリヤは預言を表す。イエスは身に迫る十字架の苦難を突き抜けたところにある神のみ心を見つめ、苦難を神のみ心に適った事として見つめておられたに違いない。
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ペトロはイエスとモーセとエリヤのために、ここい仮小屋を建てましょうと言った。仮小屋とは幕屋のことであり、神と語り合い、神を礼拝する場である。しかし、そのとき雲間から神の声がした。「これは私の愛する子、私の心に適う者、これに聞け」。神は救いの実現としてイエスと言う人格を与えられた。イエスに聞くことが私たちの礼拝である。
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山を下りたイエスを待っていたのは、混乱であった。悪霊が子どもを支配し、親がうろたえ、弟子たちが無力さをあらわにし、群集が取り巻いていた。イエスは嘆き、叱責し、苛立たれる。しかし、この混乱の中でもその子を悪霊から取り戻された。
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イエスは山で栄光に包まれた。しかし、そこに留まらず山を下りられた。私たちが翻弄され、くたくたになり、途方にくれるような日常にイエスはおられる。限界を痛感し、確かなものがなく、孤独におちいるとき、そのときこそ「これに聞け」と神は主イエスを私たちに与えて下さっている。