「神の国は来ている」

2000年3月19日

ルカによる福音書 第11章14~26節

辻中徹也牧師

 

  • 神の国が来ている」(20)、そのしるしが主イエスのなさった口を利けなくする悪霊の追放であった。これがこのテキストの中心にあるメッセージです。年度末を迎え、私は憂うつです。人は誰しも口が利けなくなるときがあるのです。一年を振り返ることは、山積みのウニから素手で一個を取り出すような作業です。痛みがあり、一気に出来るものでなく、その前に立ち尽くすような日が続いています。しかし、そこに恵みがあります。

  • 教会の歩みを振り返るの作業は、痛みだけをやり過ごせばすむと言うナンセンスなものではありません。ウニの殻を割れば身を食べれるように、恵みの再発見によって新しい言葉が喜びと味わいとして与えられるのです。「一人一役」という教会の働きを担うことも同じです。

  • 今年度島松のテーマは「ゆっくり、気軽に話せる場をもとう」と言うことでした。新しい言葉、喜びや感謝の言葉、仕えあう言葉が生まれる場を私たちは必要としてきました。神はご自分の指で悪霊を追い出される方です。神にとって「私」は毒ウニのような存在かもしれません。刺だらけで、自己防衛する殻は厚く硬く、痛みや憂うつさや否定的な言葉をため込んでいます。しかし、神の指は痛みながらも毒の身をすくい取ってくださいます。

  • 主イエスの受難にいたる歩みも、十字架の受難も、神の愛を生きた神の指としての歩みでありました。神の指であったイエスを知るときに、私にとってなくてはならない、命のような言葉が与えられます。毒を含んだ言葉の奥底に、私を生かす言葉を与えて下さいます。「神の国は来ている」と宣言された主イエスの命に生かされ、新しい言葉で語り合い、聴き合って、教会の働きを分かち合い、担い合ってまいりましょう。

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