2000年2月13日
マルコによる福音書 第2章1~12節
辻中徹也牧師
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屋根にのぼるということで思い出すのはビートルズのドキュメント映画「Let It Be」。中学2年のころ、影響を受け、友人の家の屋上に楽器を運び音を出した。わくわくする宝物のような想い出だ。気の合う仲間とわくわくした経験を持つ方、今現在、仲間と熱くなっている方々もおられるだろう。
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この物語も5人の仲間が屋根に登る。一人は床に寝かされた中風の者で仲間4人が運んできた。イエスが語られているその家には群集がつめかけ立錐の余地もない。彼らは屋根に上り、屋根をはぎ、イエスの前に床についた仲間を吊り降ろした。イエスは彼らの信仰を見た。イエスへの信頼、もう大丈夫という安堵、わくわくする喜びをイエスは見て取り、彼らが持つの信頼関係、友情、愛情を受け止められたに違いない。
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この物語は奇跡物語に論争物語がサンドイッチのようにはさまれている。「子よ、あなたの罪は赦される」とイエスは宣言された。律法学者たちは神お一人のほかは罪を赦すことができないとつぶやき、イエスの宣言は神の冒涜だと考えた。イエスは「中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』というのと、どちらが易しいか」と問われ、「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを知らせよう」と語り、奇跡を起こされた。
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この物語は罪の規定を絶対的な前提とする発想を批判している。「罪」という理念によって人間をはかるような人間理解を超えた存在として主イエスを伝えている。そして、それがイエスの独自性といことでなく、人間誰しもが持つ本質なのである。屋根をはいだ5人の仲間のうちに「罪」の規定を超えて生きる力を見出すことができる。4人に支えられた一人も、一人を支えた4人も主イエスの前に出て神の出来事に出会った。島松伝道所に集う一人が隣り人と支え合うことは小さなことかもしれないが、その小ささを主イエスは祝し大きな恵みとして下さる。私たちが支え合うことが、地区、教区、全国の教会の希望を担うこととして主によって用いられている。弱さを絆にした歩みに私たちは招かれている。