「キリストによる創造と和解」

1999年10月24日

コロサイの信徒ヘの手紙 1章15~20節

辻中徹也牧師

 

  • 教会暦は今日から降誕に向かう新しい一年を歩み出します。聖書日課に与えられたテーマは「創造」です。与えられたテキストは「御子キリストによる創造と和解」という標題のついた文章の一部です。私たちには「キリストによる和解」はなじみやすいです。神と人間との間にある 的外れという「罪」を主が十字架の苦難を受け顧ってくださいました。 けれども、「キリストによる創造」となるとあまりなじみがありません。

  • ヨハネ福音書の冒頭を見ますとロゴス・キリスト論と呼ばれる神学思 想が展開されています。天地の創造に立ち会った人間はいません。しか し、キリストを知った者がキリストをどのような方なのか言い表そうと したとき、また世界が創造された始まりがどのようであったか語ろうと するとき、その出発点は「言は肉となって、私たちの間に宿られた。 私たちはその栄光を見た。それは父の一人子としての栄光であって、恵 みと真理とに満ちていた。」というキリストとの出会いの中にあるので す。

  • コロサイの信徒への手紙の著者もまた「…万物は御子において造られ たからです。万物は御子によって、御子のために造られました。御子は すべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています」と記しています。万物の始まりに先んじて御子キリストが神と共におられた。そう告白し、讃美せざるを得ない出会いをこの著者もまた体験しているのです。神の人間に対する愛は、御子キリストの内に溢れるごとく余すところなく宿り、十字架の死によって平和を打ち立て、ご自分と万物を和解させられた。この出来事との出会いが「キリストによる創造」の告白と讃美を呼び起こしているのです。

  • キリストの示された愛が万物を貫いている。それは今、この時に至っても真実です。宇宙のどこにいても、いついかなるときもクリスマスの喜びは私たちを貢いているのです。その喜びに応えて歩む者とならせていただきましょう。

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