1999年 7月4日
エフェソ 2章11〜22節
辻中明子牧師
最近のニュースを耳にすると、私達の国が戦争への流れに向かって歩 んでいるように思われる。かつての戦争を体験した方にとっては、そ うでない者以上に敏感に流れを受けとめているのではないだろうか。 この問いかけを互いに一人が一人にしていきたい。 パウロは、エフェソ2:14以下で「キリストは平和である」と断言 している。平和を実現させるのはキリストだけであり、私達が努力し て、なんとか築き上げることが可能なものではないことも語っている。 平和をはばむものは2つの間にある「敵意」であり、この敵意を私達 は実に多くの関係の間で持っているからである。 しかし、イエスはすでに十字架で、この敵意を滅ぽされたんだとパウ ロは語る。つまり、イエス御自身が私達の敵意を引き受け、背負い、 イエス御自身が敵意そのものになって十字架で滅ぼされた。だから十 字架であの時死んだのは、私達の敵意だと。 だからもし、私達が以前として敵意を持ち合わせているとしたら、何 と無意味で必要の無いものに支配され、固執し、振り回されているの だろうか。 こんな現実を抱えつつ、イエス御自身が示してくださる新しい人の世 界へ、不完全で、相変わらずオロオロしながらも近づく歩みをしてい きたい。