1999年3月28日
ルカによる福音書19章28~44節
辻中徹也牧師
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イエスがエルサレムに入城したとき、乗っていたのは子どものロバでした。当時、馬は闘いの武器でありました。ローマ帝国は多くの軍馬を持ち、戦いに勝利すると威風堂々と馬にまたがって凱旋をしました。ユダヤ人には馬を所有することが許されていませんでしたので、庶民の生活に欠かすことのできない動物でした。
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この箇所の背景にはゼカリヤ書9章9~10節の言葉があります。ここではロバは平和の使者を運ぶものです。おそらく大柄であっただろう元大工のイエスが子ロバ乗る姿は滑稽に見えたかもしれません。しかし、それは平和のしるしとして旧約聖書の約束の実現としてのエルサレム入城でした。
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ロバが背負った重さは、乗せている人間が背負っている使命の重さでした。今、ロバが乗せている人間は「死に至るまで神に従順」な歩みをしているのです。神は、徹頭徹尾人間を愛するためにイエスが十字架で殺されることさえもなさるのであり、そのために、この人は苦しみの一週間を開始しようとしてるのです。
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神の尺度によって人間が評価されることが素晴らしいと理解し、神の平和こそが完全な平和であることを承認するならば、現代に生きる私たちも「主がお入り用なのです」という言葉が投げかけられているのです。私たちは「神によって必要とされている」という自分を発見し、その自分を承認したいものです。この時に、私たちは恐れや、不必要な気遣いや、自信のなさ、いい加減さ、自己中心さ、そのような自分に縛られないで、相手を理解する自由さを喜べるのです。「神によって必要とされている」自分の具体的な現場を確認しながら生きてまいりましょう。