1999年1月31日
マタイ福音書6章19~21節
説教者 濱田裕三牧師
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「富」と「止める」は言葉の語源が同じだという説がある。古今東西の権力者はお金や物、言葉、情報を「止め」て「富」を地上に積んだ。地上に「富」を積んでも、その権力はまた新しい権力によって「富」を失う。「虫が食ったり、サビついたりする。「天に富を積みなさい」「天」に富を積む「富」とはなにか。お金か物か?良い行いか?1人1人が神の期待に応えるように良い行いをする事。他人の力に頼らず、自立した生き方をする事は大切なことである。しかし、「行い」も「独占物=独りだけに止まるもの」である限りは、お金や物と変わらない。良い行いをずっと続けることは大変なことだし、いつかボロが出る。「虫が食ったり、サビついたりする。」
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「富」みんなのもの、分かち合うことができるもの。「天」とは神の心が実現されるところ。「天に富を積む」とは神の思いが実現する場で物、お金、行いを分かち合うこと。言い替えるとお金や物、行いを分かち合う場が「神の国」=「天」なのではないか。
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べてるでみんなと働いていると、聖書の読みがおもしろくなってくる。ベテルは98年度2つの新しい事業を始めた。1つは「べてるトラベルサービス」、もう一つは「べてるドリームバンク」。このバンクには変わった特徴がある。「お金預かります貸します」は銀行だからあたりまえ。お金だけでなく「苦労や悩み、病気や弱さ」も預かります。貸し出します。この銀行が生まれるきっかけは、95年から始まった総会での全国幻覚妄想大会。この大会で、タブーだった幻覚や妄想に人が生きていく上で大切なメッセージが隠されていたことがわかった。「楽しい」「豊かだ」「新しい発見があった」。「1年に1回じゃおもしろくない」という声が多く、定期的に幻聴ミーティングをはじめた。さらに「今週の苦労ミーティング」これなら誰でも参加できる。1週間の苦労を語り合い「いい苦労をしたねと」みんなで拍手をする。こうした体験を繰り返すことで世間では、また本人にとっても以前はマイナスだった「苦労や悩み、病気や弱さ」が、みんなで共有できる大切な財産であることがわかってきた。
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浦河教会もべてるに刺激されて「弱さ」を神から与えられた「恵み」ととらえ。弱さを開示し合う教会を志向するようになった。言葉も分かち合えるようになってきた。流れを「止める」キリスト業界用語が減り、教会に日常会話が戻ってきた。浦河では以前から「昇る生き方から」「降りる生き方を」ということを合い言葉にしてきた。「みんなで弱さを出し合い弱さを受け入れ合いながら降りて行く。仲間と一緒に降りる。下にはみんなが安心できる場がある。さらに豊かになるためには掘り下げる作業をする。地下には人間にとってなくてはならない大切な金鉱脈がある。」今日の「天に富を積む」に通づる「言葉」だ。「弱さを神から与えられた恵み、共有の財産として分かち合う」このことを島松教会も実践してきた。神にとっての「宝」の箱、みんなにとっての「富」の箱である教会を大切にしていきたい。
*べてる→「ベテルの家」。浦河教会を拠点に、日高昆布などを販売する小規模作業所、グループホーム、福祉ショップ、会社などからなる精神障がいを持つ人やアルコール依存症を持つ人たちを中心にしグループです。ベテルの発信するメッセージはとにかく面白く、奥深い。ほっとしたり、こちらの「当たり前」をひっくりかえされ、うならせられるような発見があります。べてるの輪は全国に広がっています。(辻中)